適応障害

適応障害だった時の私が書いた記録を見つけたので公開する(後編)

前編では、

・適応障害になってしまった環境

・症状

・適応障害と診断されてから休職そして退職するまで

を書きました。

適応障害だった時の私が書いた記録を見つけたので公開する(前編) 適応障害が少しづつ良くなり始めていた頃、死にたくなるたびに記録として、その時の頭の中を文字に起こすようにしていました。 「今すぐ...

この記事はその続きです。

休職中の記録を公開します。

休職2か月目の記録

ボーッと天井を眺め続ける。ただただ眺め続ける。

とても悲しい。涙が止まらない。
鼻が詰まるどころではなく、唾を飲み込もうとすると、息が一瞬だができなくなりパニックになる。

あまりにも泣き止まないので、病院からもらっていた頓服を飲んで、やっとの事で気分が落ちつき、寝ることができた。

休職3か月目の記録

私は誰にとっても、いない方が良い存在なんだ。
すれ違う人たちの中にも、私がいなくなれば良いともう人が少なからずいるだろう。

私がいない方が幸せになれる人がたくさんいる。だから、私はいなくならないといけない。でも、それに応えられない。できるものなら、とっくの昔にやっている。
まだ存在しているのは、勇気も忍耐力もないがゆえだ。

ダメ人間。そんな言葉じゃ表せきれない程のダメ人間。

空は晴れているのに曇っているように見える。道は続いているのに、それ以上は進めないように思える。
私はもうそろそろだと思う。未練なんてないけど、いざ考えると怖いし、悲しいしで涙が出てくる。
誰も私を必要としてないんだから、早くいなくならないと。
誰にも迷惑をかけずに消え去るなんてこと、可能なのだろうか。

休職4か月目の記録

辛くても、辛いって言っちゃダメ。重いって言われちゃうから。

フィリピンに来て、1つ気づいた。
(親戚がフィリピンに住んでいるので、数週間滞在していました)
日本で人生を終わらせるよりも、フィリピンで人生を終わらせた方が色々と都合が良いということに。
フィリピンなら親戚以外に私を知っている人はいないし、色々と適当がゆえにスムーズにことが運びそうだ。皆、私をすぐに忘れるだろう。

私など存在しない方が皆、幸せになれるのだから、一刻も早くこの世を去らなければならない。この世だけではない。どの世に行っても私は歓迎されないのだから、私である全ての存在をなくさなければならない。

私の妹たちは、私のように変な苦労をすることなく生きていけるだろうか。私が守ってあげなきゃいけなかったのに。ごめんね、可愛い可愛い私の妹たち。あなたたちの姉は、頭がおかしくなってしまって、守ってあげることができない。本当にごめんね。

休職9か月目の記録

もう、こうやって書くこともないと思ってた。治ったと思ってた。
でも、それは間違いだった。きっとこの症状とは一生付き合っていかないといけないのだろう。でも幸いなことに、今回は軽い。

今までは、あの願望(自殺)が絶対についてきた。でも今回はいない。
だからなのか、私の今のこの状態が病気からきてるものなのか、元来の性格から来ているものか、わからない。ちょっとしたことが、トリガーになる。

休職11か月目の記録

もう1回、就職してみようかと職を探していたら、あの時の症状が戻ってきた。そこからずっと気分が安定しない。
それに追い打ちをかけるように責められる。もう生きていたくない。

今ここをどうやって持ちこたえるかより、死んだその先が気になる。
そこは無なのか、次があるのか。

あとは最後の苦しさ、痛みに耐えられるかの問題。

休職11か月目以降は記録がない

休職11か月目を最後に記録を書いていないということは、それ以降は死ぬことを考えなかったということだと思います。

こうやって読んでて、当時のことを少し思い出したのですが、一番危なかったのは休職11か月目でした。

治ったと思い込んだ後がアブナイネ!

でも今はこうして、普通に生きているし楽しいこともたくさんあるので、生きてて良かったと思っています。

まだ死ななくて、良かった。

私が適応障害の時にやったこと↓