適応障害

適応障害だった時の私が書いた記録を見つけたので公開する(前編)

適応障害が少しづつ良くなり始めていた頃、死にたくなるたびに記録として、その時の頭の中を文字に起こすようにしていました。

「今すぐにでも死ななきゃいけない」

そう思って涙が止まらなくなった時に、その時の考えを日記の後ろのページに書きなぐっていたんです。

一番最初の記録は、適応障害と診断されてから半年後のものでした。

適応障害と診断されてすぐに休職したのですが、こうやって考えを文字にできるまで半年かかったのか…と、言葉にできない気持ちになっている今です。

普通の人からしたら、ただの重い文章です。

もしどこかの誰かが数年前の私のように、もしくは私以上に苦しんでいて、そういう人たちに世間には似たような経験をしている人がいるということに気づいてもらえれば、ただ自分だけじゃないってことに気づいてもらえれば、いいなと思います。

長いので、抜粋していきます。

調子が悪くなるまでの環境についての備忘録

今、これを書いているのは、自分がどういう状態になったのかを整理するためと、覚えておくためだ。
もっと早くから記しておくべきだったのだが、そんな状態ではなかった。

よく、時間に追われると言うが、あの場では、時間に追われるどころか、こちらが追って、そして、越そうかというような勢いだった。それぐらいの目まぐるしさだったのである。

こんな忙しさだからか、この忙しさに加えて休みの日も勉強に明け暮れなければならなかったからか、この職場が嫌だったのか?それは、違う。むしろ、これを求めていた。
勤務時間中に無駄な時間などなく、毎日どれだけt楽さんの知識や情報を詰め込んでも、終わりは来ない。向上し続けられる、探究・追求心は日を追うごとに強まる。まさに理想の自分の姿があの職場にはあった。

先輩方を早く追い越したくて、他の人の2倍以上の業務をこなした。そのおかげもあって、人を褒めることをほとんどせず、嫌味や罵声を飛ばす上司さえも、私を褒めて、多くのことを教えてくれた。私のOJT担当から聞いたが、その上司がここまで教えることは、本当に珍しいことだという。

とても嬉しいと同時に、私を褒める隣で、近くにいる私と先輩を比べ、その上司は先輩に嫌味を言うことも多々あったため、複雑な気落ちであった。
そうだ、今、書いててわかったかもしれない。私が壊れ始めたのは、上司に褒められるようになった、この辺りからだ。期待に応えなければ、と自分で自分を苦しめ始めたのだろう。
ストレス過多など入社してからずっと続いていた。その程度のストレスなど、他の多くの人だって抱えていた。みんなストレス過多で、何かしら健康状態を害していた。
みんながみんなストレス超過多なのに、私だけが負けたのだ。負けたんだ。

多忙すぎる毎日の業務からくるストレス以外にも、先輩方や同期から言われる、「上司から褒められてて、すごい。自分より仕事できるよね。」と言う言葉から受けるストレスも凄まじかった。褒められてしまって、申し訳ない。まだ全然仕事できないのに、そんな評価を受けてしまって本当にごめんなさいと、心の奥底から申し訳なさがこみ上げてきていた。

この病気になったのは、この申し訳なさからくるストレスだったんだと思う。
そして、ここから急速に健康状態が悪化していくのである。

具体的にどんな症状があったのかの備忘録

最初は、軽い吐き気だった。首や肩のコリもあったが、それは職業柄そういうものだと思っていた。吐き気は次第に動悸を伴うようになる。
そして、吐き気ではなく、今にも吐きそうな状態が業務中ずっと続くのだ。
「もうダメだ。これは吐く。」と思っても、決して吐くことはない。
2~3秒に1回のペースで小さなゲップが出る感じだった。

毎日毎日、焦燥感は増していき、常にソワソワしていた。誰も私に業務を急かしている訳ではないのに、何かに追われている感じだった。家では、資格の勉強をしなければならないのに、身が入らないうえ、読んでも頭に入ってこなかった。

どんなに眠ろうと、朝は耐え難い眠たさでギリギリまで起きられず、夜は眠たいのに、なかなか寝付けず、突然悲しくなって、毎日のようにトイレで声を殺して泣いていた。そんな日々が続いた。

不正出血が始まり、生理が来なくなる日数が月を追うごとに伸びていく。
このような婦人病の症状もあった。

線路を見つめるようになる。どうやって、いつ自殺をしようか考えるようになった。
少しボーッとするだけで浮かんでくるのは、
「存在するべきでは、なかった。消えなきゃいけない。」
「私がいなければ、みんなが幸せなのに。」
とか。

通勤途中に、電車を降りて家に帰ろうかと本気で悩みながら会社の前までたどり着き、今Uターンすれば、まだ帰れると思いながらも、
「今日だけ頑張る。今日が最後だから。」
と言い聞かせながら、やっとの事で出勤していた。

こんな状態なので、今までしなかったようなミスもするようになり、余計に自分を責めた。

適応障害と診断され、休職・退職するまでの備忘録

ある時、最近の自分はおかしいと思うことができて、ネットでうつ診断をしてみた。
結果は、
「うつの可能性が高いので、病院に行ってください。」
だった。
これをきっかけに、私は病院にかかった。

ここからは、ザッと書く。
就労を続けることは不可能との診断が下され、3か月休職することに。その間にも、不眠がひどくなったり、うつ症状がひどくなったりしたが、薬やカウンセリングで少しづつ改善していった。

会社の休職期間は3か月が限度で満了してしまったため、退社しなければならなかった。
私は本当に、いない方が良い存在なのだと自己嫌悪におちいった。

3月末で退社ということになり、本来であれば退社手続きは会社まで行ってしなければならなかったが、配慮してくれて全て郵送でのやり取りで終わった。

結構省いたのですが長いので、一旦切ります。
続きは、後編として別記事にします。

この文章を書いたっきり、2年ぶりにこれを読んだのですが、やっぱり病気だったんだなと思いました。
当時は、自分に甘いだけだと思っていたのですが。

この記事をたまたま読んで、「私と同じ症状だ」と思う人がいたら、その人は病院に行くべきだと思います。自分が、自分ではなくなっていることに気づいてください。

手遅れになる前に、休んで、病院に行きましょう。